年頭賦 福の神になる法

2005年12月27日

 月日の経つのは早いもので、今年ももう年の暮れである。年末の年中行事としては、年賀状を書くのが大仕事であるし、さらに私は毎年自分の会社の社員教育のために「年頭賦」を下手くそな筆字で墨痕大書して玄関入り口に掲げている。来年の「年頭賦」をご参考に供する。


  • 人間は一人残ら不
  • 天より生命を享けて
  • 地に生まれる
  • 宇宙神の分身で
  • 神様である
  • 神様に二種類ある
  • 福の神と貧乏神と
  • 福の神の人生は幸福で
  • 貧乏神の人生は不幸である
  • 福の神になるのも
  • 貧乏神になるのも
  • 自分の心が定(き)めることで
  • 他人の故(せい)ではない
  • どこの誰れ彼れの区別なく
  • 今目の前にいる人を
  • 心の底から喜ばせること
  • 只管(ひたすら)それだけを
  • 念じて行じて生きてごらん
  • すると奇蹟が起こる
  • 先ず自分の人相が良くなる
  • 次に周囲の人達の
  • 感謝と善意に包まれて
  • なんの心配もなく
  • 商売は繁盛し
  • 心豊かな毎日となる
  • 福の神になる法は
  •  
  •   これしか無い

なぜ?なんのために

2005年12月16日

 約2000年前の昔。ローマ皇帝にマルクス・オレリュウスという人がいた。名君の誉れとともに哲学者としても高名な人だった。
 彼の遺した有名な言葉に「人はすべて、何事をなすに当たっても先ず最初に、なぜ?なんのためにれをなすのか、ということをしっかり理解したうえで行動を起こすのでなければ、けっして成功することはない」というのがある。このことは2000年後の今日においても、少しも変わりのない真実である。

 多くの人は、これからやろうとすることの「なぜ?なんのために」の根本理解をおろそかにして、すぐ結果に直結した「やり方・ノウハウ」ばかりを追い求める。だから、そのことにおいて成功しないし、できない。

 今まで長い間、繁盛してきた商売が左前になってどうも儲からなくなってきた、そこで商売のやり方を変えなければ、というので「新しい商売のやり方・ノウハウ」を追い求めてあちこち奔走する人が多い。それでもなかなか見つからない。焦って中途半端なものに取り付いて失敗し、ずるずると衰退・没落の一途を辿ってしまうことになる。そんな風に新しいものを追いかけまわす前に、きちんとやらねばならないことがある。それは、じっくりと「なぜ?なんのために」を考えることである。

 どんなに世の中が変わっても、商売繁盛の基本は「今、自分の目の前にいるお客さんを心の底から喜ばせること」であることに変わりはない。自分の、今までの商売の歴史そして経験を踏まえて、これからも引き続き商売繁盛を続けていくために「今、自分の目の前にいるお客さんを心の底から喜ばせること」にはどうしたら良いか、そのための新しい方向、手段についてはっきり理解することである。

 長い間続いてきた工業時代が終わって、今は知識産業時代に入っている。どんな商売でも今までと同じやり方を続けていては、時流から外れて衰退し没落してしまう。
 自分の商売を時流に合わせていくために「なぜ?なんのために」を考えることを知識創造という。新時代に商売繁盛していく道は、これ以外に無い。

人生 保証人となる勿れ

2005年12月09日

 たとえどんなことがあっても、保証人になることだけは絶対に止めた方が良い。
 国税調査官10年、税理士事務所45年通算55年の業務経験を踏まえて申し上げる。仕事は順調で商売繁盛している企業が、ある日突然大きな保証債務の履行を迫られて敢えなく倒産する悲劇をたくさん見てきた。そういう経営者は好人物で、日頃親しい人から切実に頼まれると断ることが出来ない。「お金じゃなくこの書類にハンコを押してくれるだけでいい」とか「こうしてこうすれば必ず儲かる、返済のことはなんの心配もない」とかあの手この手の巧言を使ってしゃにむに頼み込んでくる。これをぴしっと断れなければ経営者としては失格である。

 よく考えてみると「この人のことは私が絶対に保証する」と言い切れるものだろうか?口で言う程度ならばお世辞としてご愛敬で済まされるが、ハンコを押してしまっては簡単には済まない。法律上の責任を追及されるのは当たり前のことである。

 どんなに深い縁の人からの頼みであっても、それが金銭上の責任にからむ問題の保証は絶対にするべきでないし、また、自分としても他人に頼むべきではない。
 理由は簡単、自分には家族・妻子がいるし、会社には従業員もいる。これらの人々を路頭に迷わせることになりかねない危険を冒すことは、一家の主人としてまた企業経営者としてなすべきでないのは自明の理である。

 大体こんな危険な相談をなりふり構わず持ち込んで来る人は、義理人情の最低の常識を弁えない人間失格者である。人間失格者に明るい未来のあろうはずがない。情にほだされてうっかりハンコを押そうものなら、ずるずると一緒に地獄の底へ引きずり込まれてしまうことになる。

天網恢々疎にして漏らさず

2005年12月02日

 今、世の中はマンション・ホテルなどの耐震強度偽装問題で揺れている。
 姉歯一級建築士が関与したとされる206件のうち43件で構造計算書の偽造が確認され、それは首都圏のほか群馬、長野、静岡、奈良など9都県に広がっていた。そして急遽ホテルは休業となり、居住者の安全確保のための退去通知が11自治体で実施された。

 これはたいへんなことである。目前の利益追求に目が眩み、 してはならぬことは百も承知で悪事を繰り返してきた姉歯建築士もさることながら、その周りに群がった工事関係者も見逃すことの出来ない悪者である。

 因果の法則というのがある。悪いことをすれば、一旦はいい思いをしても、その後必ず手痛い罰を受ける。小さな悪事には小さな罰が当たり、大きな悪事の場合は、二度と立ち上がれないほどの致命的な罰が当たる。悪因悪果・善因善果はこの世の鉄則である。

 それなのに世の中には「誰も見ていない、誰にも判らないから、大丈夫」と悪の道に迷い込む人が多い。小さな悪事に慣れて、だんだんと大きな悪事となり、それが暴露されないことをいいことにさらに繰り返し重ねていって、ついに、のっぴきならないほど大きな悪事となってしまう。そしてそれは必ず世に顕れ、天罰は覿面に降る。

 これを「天網恢々疎にして漏らさず」という。天の網は広々と大まかで粗く、無いように思えるがけっしてそうではない。悪者は断じて逃さない、という意味である。

kaicho_01.jpg牧友会名誉会長
牧内 操




eビジネスランド(http://www.ebl.jp )
<<  2005年12月  >>
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

過去の記事

このページのトップへ